手が小さい。指も短く、ごつごつしてもいない。それを評して昔「赤ちゃんの手」と言われたことがある。
言った人は多分、なにがしか話を繋ごうとしたのだろうが、こちらはなんだか面食らって、その時は「はあ」としか返せなかった。以下、ぎこちない沈黙。
あとで改めて自分の手を見つめ、赤ちゃんの手とはよく言ったもんだと感心したのだった。あの人にはスマンことをしたが、以来自分の手の形容にはそれを使っている。
よく雑誌などには「女の子は男の大きな手にドキドキする」と書かれていたりする。たしかに、男の私からみても、大きく指が長い手は、映える。開いたり捻ったり、動作のたびに表情を変えるその様子は、見ていて飽きない。あんまり見てるとホモの認定を受けそうなので、目を逸らすのだが、そうかホモだったらあの手を見続けていられるのか。ううむ。
なんだか尻の穴がこそばゆくなってきたのでこの思索は止める。
で、ひるがえって自分のちんちくりんな手を見て、がっかりする。
こいつは全然美的ではない。
描画の練習でも自分の手を手本にするのが嫌で、結局手の描写は不得手なままだった。絵描きとしてこれは致命的なのだが、どうにもこうにもである。
いや自分の手が駄目なら誰かのカッコイイ手を毎日デッサンすればいいじゃん、とも思ったが、尻の穴がこそばゆくなったので検討は却下した。
今やその手は、ペンを握る代わりに畑を耕し、田んぼの草を引いている。
日に焼け、まめができて、草に負けたり、爪に泥が入ったりと、不格好をさらに上塗りしている有様だ。
……が、まあ。
なんとなれば、このちんちくりんな手を呪うのも自分なら、愛着を持つのも持ち主の特権であるのだなあ、と思う。
40年、飯を食ったり頭を掻いたり好きな女の手をそっと握って邪険に払われたりしたこの手は、相変わらず欠損もせず両方とも満足で、錆び付かず動いている。
そしたらまあ、今日も爪を切ってやることにするかね。